IndependentWHO – 原子力と健康への影響

「世界保健機構(WHO)は、放射能汚染の犠牲者を守るという使命を果た していません。」

5 - January - 2013

2012年12月12日から17日にかけて、福島第一原発から55キロ離れた同県郡山市で、IAEA(国際原子力機関)と日本政府が開催した原子力の安全に関する閣僚会議に対抗して、Nuclear Free Now は同じ期間に抗議フォーラムを企画しました。

フォーラム主催者から、IndependentWHOのメンバーにIAEAとWHOの協定について、またこのIndependentWHOグループの活動についてプレゼンテーションをしてほしいと言う希望があったことから、私が日本を訪ね、Nuclear Free Now の主催する数々のイベントに参加することになりました。

 ~

まず12月12日、東京でフレンズ・オブ・アース(F.O.E.)が最初の会合を企画してくれました。そこでは日本の二つの団体がフクシマの現状について紹介しました。それからオーストリアの組織であるグローバル2000のラインハルト・ウーリックがIAEAについての発表を行い、私自身も話をさせていただきました。

2012年12月12日東京でのプレゼンテーション

~

12月13日木曜日には同じプレゼンテーションが、今回は福島で行われました。私は、パリの厚生省前で Independent WHOが行った抗議活動“ヴィジー”のビデオを紹介したのですが、この時、福島の住民の方たちが、フランスに避難した自分達の仲間の姿を映像の中に発見し、会場に感動の波が沸き起こりました。

2012年12月13日福島でのプレゼンテーション

~

12月14日金曜日は、抗議フォーラムのために来日したヨーロッパ人グループで、とりわけ汚染の激しい地域を日帰りで訪れることになりました。途上、高圧洗浄機で家々の屋根を除染する作業員の姿を見かけました。また表土を削ったグランドや畑などもあちこちに見られました。放射能汚染している表土は削り取られた後、ただ大きな袋に収められていました。

袋詰めされた放射能汚染土

まず訪問したのは飯舘村です。この村は避難が行われ、除染に忙しい作業員の姿を除いては、人っ子ひとりいません。見かけはなんの変哲もない村なのに。目を引くものもなければ、変わった匂いがするわけでもありません。聞こえるのはピッピッと鳴り続けるガイガーカウンターの警戒音だけ。放射能というのは、まったく驚くべきものです。不規則に拡散し、豹柄のごときホットスポットをつくって行きますが、それを目にすることは出来ず、放射能のことなど考えたくない者にとっては、その存在を忘れてしまうことはいともたやすいのです。体に健康上の異変が現れて、初めてその存在が思い出されます。飯舘村ではビニール袋が積み上げられていました。これは最終処分方法が見つかるまでの仮処置ですが、誰一人解決策は持ち合わせていないようです。この「廃棄物」の貯蔵は、既に深刻な問題になっています。その量は激増の一途をたどるでしょう。それほど除染しなければいけない土地は広大なのです。目下、廃棄物受け入れ候補に選らばれた土地は、それだけは勘弁してくれと言う意思表示をしています。そこで考え出されたのが、現場での希釈です。表土を反転耕し、その下の層と混ぜ合わせるやり方です。結果、その土地ではいかなる農業も不可能になるのです。

つづいて訪問したのは南相馬市です。海岸線に近いため、津波の爪痕がまだまだたくさん目に付きます。飯館村よりも、この大震災の想像を絶する威力と・・・・ この威力に原発が耐えられると思い込んだ人間の傲慢さがよく実感されました。

 

私たちは、名古屋から被害者の救済に駆けつけたカリウラ神父と対面しました。長崎で生まれたカリウラ神父は、放射能というものがどういうものかを知っています。また以前は日本の南西部にある水俣市の石油化学工場が廃棄した水銀によって引き起こされた中毒の被害者たちの支援に力を入れた方でもあります。南相馬市では、私たちの線量計は毎時2から3マイクロシーベルトを表示しました。一年の被曝量に換算すると16から26ミリシーベルトです。南相馬市は四つの区域に分割されました。長期にわたって居住が不可能な区域、現在居住が禁じられている区域、まもなく居住禁止が撤回される区域、そしてまだ居住が可能な区域です。この分割措置には様々な疑問が呈され、地域社会に亀裂をもたらしています。人々は何を信じ、何を行ったらいいのかわからなくなってしまっているのです。そんな中で、まだ避難していない住民たちは神父を信頼し、ありとあらゆる相談を持ちかけるのに対して、カリウラ神父は孤軍奮闘していました。

封鎖された立ち入り禁止区域

小国地区では建築家のカンノ氏と対面しました。震災によってそれまで結束の固かった地域社会が、いかに文字通り引き裂かれてしまったか、氏は説明してくれました。この地区では128世帯だけが“避難勧告リスト”に入れられましたが、避難の判断基準については、なんの説明もなされませんでした。

避難が行政による判断なのか、あるいは住民の自主判断なのかによって、賠償の有無が決まります。行政が、なるべく賠償が少なくて済むようにあらゆる手段を講じていることも、指摘しておかなければなりません。賠償候補者の資格を剥奪するためには、あらゆる戦略と想像力が駆使されています。もう一つ問題なのは、事故処理に関わっている様々な人々の間の協調体制が欠けていることです。例えば厚生省の関係者はある土地の除染を決定し、環境省の関係者は別の土地の除染を決定し、その際住民には各省がそれぞれに除染地を選んだ理由について何も知らされないのです。

この地区では稲の除染が行われました。周囲の土壌の汚染量と稲の汚染量との間には比例関係のないことが確認されたのです。様々な異なる汚染のケースが見られ、土壌のタイプやカルシウム含有量などと言ったたくさんの要因が関連していると考えられ、耕作を行うかどうかの判断を極めて難しいものにしています。

米の放射能汚染検査

どのような対策が講じられ、どのように事故処理が行われているかは市町村の首長に左右されます。首長のリーダーシップが弱く、住民との協力が行われない行政区域では、住民は自分で放射能測定をし、健康診断を受け、その結果を読み取って、とるべき手段を自己判断しなければなりません。

この小国地区では、これまで人々は質素な暮らしをして来ました。インターネットを使ったことのない人もいます。この情報収集手段が使えないとなると、口を閉ざす行政や互いに矛盾する情報、そしてはっきりとした理由のわからないまま講じられる政策を前にして、彼らは裏切られ、見放されたように感じ、どうして良いのかわからなくなっています。フクシマの犠牲者に会うたびに伝わってくるのは、こうした彼らの思いです。

この日、私たちは幾度も様々な場所に設置されたモニタリングポストの前で足を止めました。このモニタリングポストは、住民に汚染の度合いを伝えるもののはずです。しかし、既に話しに聞いていた通り、この“公式”の測定器が表示する数値と、私たちが持参した線量計の表示するものとの間には差があることが確認できました。“公式”の数値の方が少ないのです。高い数値が表示されることを避けるために、モニタリングポストの周りは清掃され、除染されているのが一般的なのです。

それだけではありません。測定器の下に鉄板を敷くという手も使われています。結果的に、モニタリングポストの示す数値は、人々が住んでいる場所の実際の汚染レベルを反映しません。隠蔽にウソ。それが原子力と言うものの、正直な性質なのです。

~

12月15日土曜日には、郡山市の多目的ホール“ビッグパレット”前でデモが行われました。ここでIAEAは3日間に渡って原子力の安全に関する閣僚会議を開催し、何百人という世界中のあらゆる原子力ロビー組織のメンバーや大臣が一堂に会したのです。郡山は、原発事故の心臓部にある都市であるにもかかわらず、デモに参加したのはたったの数百人だったことには驚きました。

郡山市IAEA会議開催地前でのデモ

地元住民の原発問題に対する拒否反応は強いのです。忘れたいという気持ちが支配しているのですが、被害に対する不安、あるいは事故が深刻化するかもしれないという不安もまた、人々の脳裏から離れないようです。デモの途中、気持ちの高ぶる瞬間が訪れました。IAEAの広報担当の女性が、被害者たちが結成した様々なグループの代表者によるスピーチを聞きに来たのです。スピーチの中に表現されるあらゆる苦しみを目の当たりにして、彼女は明らかに心動かされているのがわかりました。けれどもとうとう、彼女は、私たちを隔てる境界を踏み越えて、被害者たちに連帯することはしませんでした。あと10回くらいは原発事故が必要なのでしょうか・・・?

~

土曜の午後は、やはり郡山市で、原発に反対する首長会議が行われました(福島県やその他の地方の80人あまりの首長がこのグループのメンバーです)。

原発のない日本のための首長会議

首長たちもまた、見捨てられた気持ちだと話しました。政府からの指示もない、ニュースはテレビを見て初めてわかる状態なのです。

この会議の途中で突然床が揺れはじめました。つづいて壁や天井も。マグニチュード5.3です。私たちのいる場所は、新たな地震で崩壊するかもしれない4号機のプールがある原発の廃虚から60キロ。私の隣に座っている女性は、日本では日常茶飯事の地震に慣れているはずなのに、蒼白になりました。もちろん私もです。

ビッグパレットにいるIAEA閣僚会議の参加者たちも、もちろんこの揺れの洗礼を受けました。けれども翌日私が知ることになったとおり、彼らの信念を覆すのには、まだ不十分だったようです。

~

Nuclear Free Now の主催者たちは、IAEA会議に“オブザーバー”を参加させる権利を得ることが出来たので、私は早速日曜の朝に行ってきました。

テーマは「福島原発事故から学ぶ教訓」。原子力の栄光のために開かれるこうした大ミサでは、本当に何も期待できるものがないことを改めて知るのは、興味深いことでした。要約して言えば、発表者たちは、講じられている対策や実施されたことに対する満足感を伝え、フクシマのような事故が再発しないための最大限の安全を保証するために、今後さらなる改善を加える必要性も認めたのです。前日の開会式のとき、私と同じようにオブザーバーの立場で参加していたマイクル・シュナイダーは、1986年に逆戻りした気がすると話していました。つまり端的に言えば、事故は、恐れていたほどの被害をもたらさなかった。被害の最小化に次ぐ最小化。出来る限り。それが原発ロビーの望みなのです。

~

日曜の午後は、市民側の会議でした。まず“グローバル2000”のラインハルト・ウーリックによるIAEAの紹介、それから私自身によるIAEAとWHOの協定について、そしてIndependentWHOの活動についての発表。さらに2つの日本の組織の代表者と日本の元大使が、会場との質疑応答のために加わりました。

2012年12月16日郡山での市民会議

~

17日の月曜日には、私はふたたびIAEAの会議に足を運びました。テーマが「住民と環境の放射能汚染からの保護」だったからです。

郡山IAEA会議「住民と環境の放射能汚染からの保護」セッション

この朝は、WHOの環境保健課課長マリア・ネイラがWHOの役割について、そしてWHOの実現させた仕事についてプレゼンテーションを行いました。めりはりの効いた発表で、事故直後からのWHOによる対応や現場での共同作業に関する長いリストが紹介されました。端的に言えば、存在感のある有能なWHOがアピールされたわけです。そしてもちろんお決まりの“住民が抱える精神的な問題”が持ち出され、的確なコミュニケーションによって“放射能恐怖症”を治療することが他のどんな治療よりも(!)重要であると強調されました。福島医科大学が実施した子供たちの甲状腺検査の由々しき結果については言及なし! 研究結果はたぶん、WHOの手元に届いたのが残念ながら遅すぎたのでしょう。それとも運悪くスパムフォルダに迷い込んでしまったのかもしれません。というわけで、フクシマの健康状況はまったく安心出来るものということになり、つづくUNSCEARのヴァイス氏もそのことをもう一度確認しました。氏は、原発事故後に起こった作業員の死亡は、放射能を原因とするものではないことを私たちに保証してくれました。放射能は作業員にも住民にはまったく影響を与えていないとのことです。ホッ。

興味深かったのは、健康被害に関する幾つかの問題や疑問については、必ずしも否定されるわけではなく、以下のような偽善的な慎重な態度の答えが常に返って来たことです:「現在の研究からはまだ結論は出ていない、明らかに示唆的な結果を導くにはいたっていない、今後もこうした疑問に対する研究は続けなければなりません・・・」

つまり彼らは、必ずしも明証性を否定するわけではなくなったのですが、結論が不可避となる時をなるべく先に延ばそうとしているのです。

すべてのプレゼンテーションで「コミュニケーション」と言うテーマが扱われましたが、発表者の一人は特に、彼ら自身の間で意見の一致していないテーマについては、公の場で意見交換をしないことの重要性をとりわけ強調しました。議論はわかりやすく、スムーズで、住民に安心感を与えるものでなければならない。それが原発ロビーの目指すところなのです。そしてそれは功を奏しています。何故なら、この手の会議からは、まさにそう言う感想が得られるのですから。

 ~

月曜日の午後には、抗議フォーラムを総括するための記者会見が開催されました。この場を借りて、私は、日本の方々と一緒にいることのできた喜び、しかしまた私の訪日がこのような大変な悲劇を原因としていることのとてつもない悲しみを伝えました。

郡山市での記者会見

またこの悲劇に起因する様々な異なる問題に対処するために、多くの団体が創設されたことに感銘を受けたこと、そしてそうした団体が互いに繋がり、連体し、信念を持ち続ける必要性について話しました。そうすることによって、抵抗運動に本当の力を与えなければなりません。まだまだその必要があることがわかりますから。

記者会見後、私たちは、三千七百万人と言う世界一の住民数を誇る巨大首都圏東京に戻りました。70キロに渡って都市が密集している様子はまったく想像を絶するものがあり、またこの光景を前にすると恐ろしい気持ちになります。もしも再び地面が4号機建屋が崩壊するほどに揺れることになったら、そして風がこの方向に吹いたとしたら、これだけの住民が避難することは不可能に思われます。

ゾッとします。心底ゾッとします。

クリストフ・エラン、東京にて 2012年12月20日

 

2012年12月21日に東京で参加した抗議行動の模様。この抗議行動は毎週金曜日に、汚染地域に住む子供達の即時避難を政府に要求している「ふくしま集団疎開裁判」により行われている。

http://www.dailymotion.com/video/xw5ldr

ページトップへ