冬休みを機に、京都近郊の高島市で、福島の原発事故で高度の放射能に汚染された地域に暮らす子供達のための第3回目保養キャンプが開かれました。
藤本真生子さん自身母親です。彼女がこの保養休暇を企画したのは、どこの子供であれ、楽しく、苦しみのない時を過ごせるようにするために最大限のことをするのは、ごくあたりまえのことだと考えるからです。
藤本さんは、このようなイベントの企画に不慣れだったために、最初は苦労しましたが、さまざまな形(金銭、食料の寄付、格安な宿泊先の提供、食事の準備の手伝いの申し出など)で多くの支援を受けることになりました。これには、藤本さんは嬉しい悲鳴を上げました。
2012年春の第1回目、夏の第2回目の保養キャンプに続いて、今回9日間の日程で実施された第3回目の保養には、約40人の子供たちと十数名の保護者が参加し、高濃度汚染地での日常からしばらく解放されました。
保養キャンプでの数日間、参加者は、汚染されていない有機栽培の食材を使ったバラエティ豊かな、きれいに盛られた食事を満喫できることになります。
保養プログラムにはさまざまなゲームやイベントが盛り込まれ、笑いに溢れた雰囲気から、参加者がとても満足しているのが窺えました。
福島から参加した子供たちが大半でしたが、隣の茨城県や、福島から遠く離れているものの、汚染を免れなかった千葉県(東京近郊)から参加した子供もいました。
もちろん、保養に参加した家族は放射能汚染の実態をよく知っています。子供に健康診断を受けさせたところ、甲状腺のしこりや、尿からセシウム134、137などの核種が検出されました。保護者全員が、共通して状況を深刻に心配しているようでした。そのため、気がかりな問題を一緒に話し合う機会に恵まれたことに、みなさん一様にありがたいと感じていました。とりわけ、福島近隣に暮らす親御さんたちにとっては、こうした心配事をようやく話す好ましい機会になりました。なぜなら、現地では、震災や放射能がもたらす問題について遠慮なく話すことは難しいか、不可能だからなのです。
事実、この親御さん達は大災害時によく見られる受け入れがたい事実を認めようとしない「否認」の反応に直面しているほか、震災のことを話題にする人々は福島の復興の足を引っ張ると見なされてしまうため、沈黙してしまうという事態に陥っているのです。また、原爆被爆者が味わった差別と似たような差別が福島の住民にも向けられ始めたという事実もあり、問題について率直に話す勇気が削がれているという点も見逃せません。そのため、白い目で見られたり否定されたりすることを恐れずに、率直に発言できることは大きな安心感をもたらします。
親御さんたちにとって難しいのは、リスクについて明確な答えがないことです。リスクのぼやかしと軽視が、原子力ロビーと政府によって巧みに画策され、主要メディアもそれに加担しています。その結果、汚染地を去るべきか去らざるべきかという疑問が残るのです。健康への影響の不確定な要素に加えて、各個人に特有な状況も問題となります。仕事、家族、特別な土地への思い入れなどです。決断を下すことはまったく容易ではありません。何をすべきなのか、誰を信じたらよいのか?
保養に参加した親御さんたちと出会えたことは非常に興味深かったほか、生気溢れる子供たちと一緒に過ごすことができて大変嬉しかったです。同時に、数年後にはこの子たちの誰かが酷い放射能の影響に苦しむことになるのではないかと考えずにはいられませんでした。3週間前に郡山市で開催された国際会議で、IAEAのメンバーと原子力ロビーは彼らの信条を次のように述べました。「原発作業員、一般市民ともに、福島の原発事故による死者は出ておらず、放射能汚染による健康被害も確認されていない」。これはUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)のワイス博士の弁です。そしてWHO代表のマリア・ネイラ女史は、今回の事故に関連するWHOの対応事項の長いリストをひたすら引用するのみでした。WHO本部前の〈見張り番〉に今度立つときは、「情報の隠蔽と無支援=犯罪」という標語を今まで以上に掲げようと思っています。
2013 年1月8日 京都にて クリストフ・エラン